キャピタリストは可能性を“探る”のではなく“感じる”のだと思う。
最近、ベンチャー・キャピタリストである自分の課題として強く意識することがある。
それは、投資判断・投資意思決定の遅さだ。
以前にブログで書いた「ベンチャーキャピタリストに求められる意思決定とは?」では、投資しないという意思決定の重要性を述べたが、今回はその意思決定のための「判断基準」という話に近い。
どういうことかと言えば、キャピタリストはベンチャーの可能性を“探る”のではなく“感じる”ものではないかということだ。
例えば、いまの僕には以下のようなことが起きる。
これは自分自身の勉強不足、経験不足が原因にあることは深く反省した上で、キャピタリストはベンチャーの可能性を“探る”のではないと思う。この“探る”という定義が難しいが、“本来ないものをあると思って探す”ことに近い。
例えば、誰も見向きもしないベンチャー企業に唯一投資したキャピタリストがいたとする。そのベンチャー企業が大成功をおさめたとき、果たして彼(キャピタリスト)はベンチャーの可能性を探して投資したのだろうか?
僕の感覚としては、NOだと思う。
彼は“探った”のではなく“感じた”から投資したのではなかろうか。
つまりは、初見で話を聞いただけで可能性を感じるくらいのベンチャーでないと、そもそも成功可能性は限りなく小さいのだと思う。そして、そのベンチャー企業の可能性をずるずると探ることは、決してベンチャーにとっても望ましいことではない。日本のVCでよく起こりがちな「別途検討します」というスパイラルにハマり、ベンチャーの時間を奪う。
ベンチャーキャピタリストは、可能性を感じなければ即断で断わる(逆もしかり)。
今年は、特にこれを意識したいと思う。