30歳を過ぎて自分の性格は変えられるのか?
皆さんも「自分の○○な性格を変えたい」と思ったことがあるのではないでしょうか。
例えば、僕ならばこういう性格を変えたい。
- 議論や揉め事を避ける性格
- 率直な物言いを避ける性格
- 他人に遠慮がちな性格
- 他人に嫌われることを避ける性格
などなど。
30歳を過ぎて、自分の性格は変えられるのでしょうか?
言うまでもなく、これは簡単ではないでしょう。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、ましてや30年間も身を置いた環境下で育った(育てられた)人間の性格というのは、いつのタイミングからか「個性」と呼ばれ始めて、変える/変えないの領域からは切り離されていきます。
「変える」よりも「上手く付き合う」に近い
スポーツの世界にメンタルトレーナーがいるように、あるいはビジネスの世界でコーチングがあるように、性格は「変える」よりも「上手く付き合う」ことが大事ではないかと。
僕は性格診断のようなものが好きです。詳しくは別の機会に触れたいと思いますが、ストレングス・ファインダーやMBTI、VIA-ISなど過去の診断結果をストックして、定期的に見直したりしています。複数のツールでやってみると分かるのですが、自分の診断結果というのは、一定の共通項があります。
例えば、僕であれば以下のようなものです。
- 規律よりも柔軟にいろいろやっていきたい
- 論理よりも感情とか道義で動きがち
- ルーティンとか超嫌い
- 計画よりも行動
- 調和とか共感を重んじる
で、こうした自分の性格は、仕事においては上手く付き合わなければいけないときがあるんですね。
例えば僕はベンチャーキャピタリストですから、
- ベンチャーが規律ゼロでばらばらな組織では困る
- 社長が感情的で社員が付いてこなければ困る
- ルーティンワークも大事
- 事業計画も必要
- イノベーションは調和でなく破壊
というように、割と自分の性格とは真逆のことを実行する、もしくはベンチャー企業に実行するよう諭さなければならない立場のわけです。
これを「自分の性格には合っていないから、この仕事を辞めよう」と割り切ってしまうのも一つだと思うのですが、職業と自己の性格が完璧にマッチするということは、まぁ感覚的にあり得ないわけです。
上手く付き合う努力をしよう
最近TVでマインドフルネスの特集を見たんですが、その肝は「ストレスを感じている自己に気づくこと」でした。
自分の性格と上手く付き合うことも、これと同じではないでしょうか。
変えたいと思う自分の性格が垣間見えたときに、まずそれに気づくこと。気づいたら、少しでもそれを修正すること。
こういう努力が、仕事における自己実現には大切な気がします。
オムロン血圧計の歴史
先日、ある展示会でオムロンの講演を聞いたのですが、面白かったのでご紹介。
テーマとしては当社のMEMSデバイスを使ったウェアラブル機器のヘルスケア展開、みたいな話だったのですが、講演の中でオムロンの血圧計の歴史が出たんですね。
1973年に最初の家庭用血圧計を販売
当日はまだ「血圧は病院で計るもの」という認識が一般的だった中で、オムロンは40年以上前に家庭用の血圧計を販売したと。
いまや販売台数累計で1億台を達成しているそうです。
当時はまだ家庭用血圧計の基準値がありませんから、長年のコホート研究でその基準を設定したんですって。
弱視(ロービジョン)を調べる
ちょっと興味があって、弱視(ロービジョン)について調べてみました。
弱視者の定義
弱視者、ロービジョンとは一体何かという定義ですが、いろいろと定義が揺れているようですが、大まかものとしては以下の通りです。
従来の法的な定義では0.05未満が盲、すなわち視覚的な情報を全く得られない方ですから、盲患者よりも視力としては高いけども、生活に不便を感じている患者を指します。
僕の裸眼での視力は0.1以下なので、コンタクトレンズを外したぼんやりとした状態でしか視覚情報を捉えられない、というイメージでしょうか。
弱視者の数
世界に2.5億人も存在するんですね。国内に関していうと、心臓病の患者は100万人、アルツハイマー病の患者は125万人、認知症の患者は170万人存在すると言われており、規模感として決して小さくない課題だなと。
ロービジョンの原因疾患
日本眼科医会の発表によれば、ロービジョンの原因疾患トップ3は以下の通り。
糖尿病の合併症として糖尿病網膜症は3~6割程度発症すると言われているそうです。糖尿病患者は国内に740万人いると言われており、かつ現代病として今後この網膜症も増えそうです。
僕の祖母も緑内障なんですが、こんなに視野が欠損してしまうのか、と今さらながら思いました。。
現在のソリューション
薬物療法やレーザー治療、手術などはあるとして、それでも矯正できない方は拡大読書器やルーペを使うというのが現状でしょうか。拡大読書器は自治体によって9割補助(定価20万円として18万円補助)が出ます。ただ、どれも弱視者のQOLを劇的に改善するかというと発展途上だなと。
それ以外に興味深いものとして、以下のように視覚以外を活用した技術があるようですが、使い勝手は悪そうです。
弱視やロービジョンという障害が社会に浸透していない(少なくとも、僕はこれまで知りませんでした)一方で、心臓病などと比べて同等以上の疾患者が存在する。世界で2.5億人という患者のQOLを劇的に改善する技術に注目してみたいです。
ベンチャーキャピタリストは育成できるか?
ベンチャーキャピタリストに必要なスキル・知識って非常に多岐に渡るなぁという実感があって、これって体系的に整理されているのかな?と調べていた中で、10年以上前のものですが経産省の調査・報告を見つけました。
ベンチャーキャピタリストの能力開発に資するプログラム開発・実証事業 最終報告
参考になる部分もあるので、ざっくりとまとめてみました。
ベンチャーキャピタリストになるための教育プロセス
アメリカ、欧州、韓国の傾向についてまとめると以下の通りです。
現在どういう状況かというのはありますが、おそらくMBA卒であることとかは今でも最低条件なのではないかと。
一方、日本ではMBA卒はまだ少数派なので、キャピタリストになるための教育プロセスって新卒で大手VC入社して経験を積むか、事業会社で実力と運を伴ってCVC的な動きを取るか、金融機関から転職するかが実態ではないかと思います。
アメリカ
- MBAを卒業していること、または理系の大学院レベルの学位を有していること
- MBA卒業生であってもVCに入社してから5年ほどはOJT
- パートナー昇格のために経営経験(起業、大手企業の事業本部長クラスなど)
欧州
- MBA卒ないしはそれに準ずる学歴
- 優良(ブルーチップ)企業での3~7年程度の職務経験
韓国
ベンチャーキャピタリストに求められるスキル
スキルについてもいくつかまとめられていますが、個人的に大別すると「手法が決まっている領域」と「手法が決まっていない領域」の2つではないかと思います。
手法が決まっている領域
手法が決まっていない領域
- Management Support
企業経営の支援、企業戦略の立案・支援、マーケティング戦略の立案・実行など - Industry Experitise
技術力・競争力評価のための専門的知見、市場環境・業界動向に関する見識など
なんで後者二つだけ英語なのかスッキリしませんが、「日本語で適切なカテゴライズが出来ない」というあたりが、手法が決まっていないというか、国内では体系的に整理できていないということなのかもしれません。
その他、シニアクラスへのステップアップには以下のようなスキルも必要とのこと。上の二つは「手法が決まっている領域」、三つめは「手法が決まっていない領域」でしょうか。
- 投資案件や起業可能性を見極めるスキル
- 多様なExit戦略の立案
- 投資先を正しく導くためのソフトスキル(コミュニケーション能力、リーダーシップなど)
また個人的には、ベンチャーキャピタリストに求められるスキルというか素養に近いですが、以下の二点は議論の余地があるかなと。
- 好奇心
- 人を見る目
世界を変え得るような技術や製品を掘り出すためのアンテナ・好奇心や、人を見る目というか、優秀な起業家を見極めることはキャピタリストに必要な素養としてよく言われることです。ただ、この二つって果たして育成できるんでしょうか?これは経験(時間)が必要なのかな。
まとめ
- 手法が決まっているなら覚える
法務や税務など、手法や答えが決まっている領域は自分で勉強してひたすら覚えるしかないでしょう。それら業務を専門家にアウトソースするにしても、平等に議論できるだけの知識は必要ですね。
- 経験値を貯める
手法が決まっていない領域は、経験値を貯めるしかないでしょう。とにかく場数を踏むこと。市場環境・業界動向に関する見識などを他者から仕入れるための人脈も必要ですね。
自己紹介
サマリー
- 東北大学経済学部卒業
- 大学在学中より同大発ベンチャー企業に参画
- 2009年に半導体ベンチャー企業入社
- 2013年に政府系ファンドの出資を受けた液晶パネル向けコントローラICベンチャーに参画。経営企画、サプライチェーン管理分野を担当
- 2015年より国内某VCに参加。世界を変える研究開発型ベンチャーへの投資、支援を行う
大学時代
サマリーにすると淡々とした自己紹介ですが、私自身を説明する上で大学時代の経験は外せません。
当時の私は学生の立場で、いわゆるインターンシップという形で2社(ITベンチャーと大学発ベンチャー)のベンチャー企業で仕事をしていました。最近、「経団連がインターンの下限日数を3日間に短縮する」というニュースがベンチャー界隈をザワザワさせていますが、いまでこそ企業の採用ツールや学生のマッチング機会として認知されているインターンシップも、当時はまだまだ"はしり"感がありました。
しかも私の場合は、各社での仕事は1年を越えましたし、そもそも就職目的ではなくて、とりあえず何か自分を成長させたい!という勢いでやらせていただきました。
この経験の何がデカかったか。それは、インターンを通じて出会った人に尽きます。
あなたは、天才技術者に出会ったことがありますか?
中卒ながら家業を継いできた、叩き上げの起業家に出会ったことがありますか?
大学を休んでまでベンチャーで仕事をする、そんな先輩がいますか?
地元仙台の進学校を卒業して東北大学に行くというのは、自分で言うのもアレですが、世間的に鉄板ルートなわけです。ただ、そのルートを普通に進んでいたならば出会うことのなかったであろう人に出会った。これが本当にデカかった。
社会人のスタート
そんな大学時代の経験を終え、私が進んだのは半導体ベンチャー企業でした。今でこそ振り返れば「入社して良かった」と思えますが、基本的にキャリア選択としては正しくなかったと思います。
ガリガリの新規事業立ち上げをやりたければ、大手でもリクルートやサイバーエージェントなどを選べばよかったかもしれないし、どこかIT系のベンチャーでも良かったなと。もちろん面接を受けて結構いい感じに進んだ会社もあったのですが、どうも自分にはピンと来なかったんです。そもそも真面目に就活してなかったという甘さもあるのですが。。
今でこそ振り返れば、モノづくりというか、物理的に研究開発が生じるベンチャーで仕事がしたかった。なぜならば、大学時代のインターン先が大学発のモノづくりベンチャーだったわけですが、ここでの経験が大きかったです。
つまり、天才技術者がいて、それでもなかなか事業として上手くいかないベンチャー、これは一体何ぞや、と。自分が成長して天才技術者と組めば、きっと彼(彼女)はもっと輝けるのではないか、と。ならば一度研究開発型ベンチャーとして半導体の世界に飛び込んでみようと。
今振り返って、自分なりに整理をしてみると、当時は漠然とこうした考えがあったように思います。
ベンチャーキャピタリストになるまで
この半導体ベンチャーに進んで、もう一つ良かったなと思えることは、大学時代同様にそこで出会った人です。その後は当時の副社長がスピンアウトして、立ち上げたばかりのバリバリのベンチャーに誘っていただいたんですが、これが今のVCに進むきっかけになりました。
一つに、多かれ少なかれベンチャーファイナンス(資本政策や資金調達)やVCを意識できたことです。実際に出資いただいたVCとの接点が生まれ、ベンチャーファイナンスやベンチャーキャピタリストって面白そうだなと。ここでVCという仕事を意識し始めました。
そしてもう一つに、ある種VCの限界みたいなものを知れたことです。出資をしてもらうこと自体がベンチャーにとっては貴重なわけですが、当時のベンチャーサイドから見て、VCから資金以上の付加価値を感じたかと言えば、NOでした。
このVCの限界みたいなものに対して、いろいろVCについて人から話を聞いたり、本を読んだりした自分にとっては、「あれ、なんか話が違うぞ」と。ベンチャーとVCは確固たる信頼関係で結ばれた運命共同体で、VCは資金だけでない多種多様な支援を行なうんじゃなかったのか、と。
繰り返しますが、ベンチャーにとっては出資をしてもらうこと自体が尊いです。ましてや、資金も時間も掛かる研究開発型、半導体のベンチャーなんて、普通はお金集まりません。さらに言えば、投資家としての経済合理性から考えると、資金を出した後は勝手に投資先が成長して、リターンを得た方がいい。つまり、ここで言うVCの限界は別に悪いことではないんですね。
ただ、ITやウェブ系のベンチャー/VCのエコシステムが出来つつあるなかで、研究開発型ベンチャーに対しても、VCとしてもっと出来ることがあるんじゃないか、そういう新しいVCの形があっていいんじゃないか、と。
ベンチャーキャピタリストになって
そこから本格的にVCを意識し始めるわけですが、なかなか理想のVCなんて無いわけです。そもそも、未経験の若造に門戸が開かれるほど、VCの世界は甘く無いわけです。
それでも情報収集して、関連する知識を学習して、ということを繰り返してようやく出逢ったチャンスでありVCに、今参画しています。
ベンチャーキャピタリストと名乗るには痴がましいですが、それでも僕は「ベンチャーキャピタリストです」と言い切ることにしています。
「資金だけでない多種多様な支援をする」と言い切ることにしています。
そうすることで、それに見合う人間に自らを引き上げられれば。
最後に
ベンチャーキャピタリストになって、影響を受けた言葉を2つ紹介して、自己紹介を締めくくります。
「一流のプレイヤーになる素養と、一流のコーチになる素養は違う。ベンチャーにとって一流のコーチになりなさい。」
「EXIT後にもベンチャーの飲み会に呼んでもらえるキャピタリストになりなさい。」
それぞれ違う方からいただいた言葉ですが、つまるところベンチャーとの信頼関係をどれだけ作れるか、そのためにどれだけ自分を成長させられるかに尽きるのだなと思っています。
はじめに
なぜ書くのか?
VC(ベンチャーキャピタル)という仕事柄、インプットすることは非常に多いです。たくさんの人に会い、話を聞きますから、事業のこと、市場のこと、技術、競合、業界全体の話などなど、インプットすることは尽きません。並行して、関連する書籍や趣味の読書も含めて、僕自身インプットの量というのはそれなりだなと思っています。
一方で、アウトプットの機会が少ないなぁという実感があります。基本的にVCというのは、VC自身が何かを生み出すという仕事ではありません。
もちろん、投資の意思決定や投資先への助言や支援が一つのアウトプットになるわけですが、アウトプットの頻度は多くありませんし、アウトプットした効果が見えづらいというか、日の目を見るまでが長いんです。それこそ上場をゴールとするならば、一般的に3年以上かかるわけですから。(上場直前に投資するようなVCもありますが)
そこで、ブログを書いてみようと。
10年程前、自分が20歳くらいのときにもブログを書いてましたが、長くは続かなかったんです。2016年のいま30歳を迎え、VCという領域で成長するために大事なのは、長く続けることだと考えているのですが、ブログというツールは「継続する」という僕が最も苦手にすることを改善するために役立つのではないかと。
何を書くのか?
まずタイトルの「中庸への回帰」とは、米著名キャピタリストであるアーサー・ロックが「アメリカを創ったベンチャー・キャピタリスト―夢を支えた35人の軌跡 (Harvard Business School Press)」という書籍で語っている言葉です。人に投資をするキャピタリストと呼ばれた同氏が語るこの言葉は、常に「真ん中」を意識しているようで何となく好きなので、タイトルに使わせてもらっています。
記事の内容に特別な制限は持たせないつもりですが、基本的にプライベートな(旅行やグルメ)話題にはあまり触れないつもりです。ベンチャーキャピタリストっぽい(?)話をなるべく触れたいと思っています。
どう書くのか?
継続することがこのブログの目標ですから、1日1記事と言いたいところですが、いきなり高いハードルだとつらいので、一週間で3記事、2日で1記事のペースで更新していきます。 読み手にとって面白い記事がベストですが、内容云々の前にとにかく書く!というスタンスで続けていければと思います。
留意事項
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