中庸への回帰

ベンチャーキャピタリスト/山家 創(やんべ そう)のブログです。

自己紹介

サマリー

大学時代

サマリーにすると淡々とした自己紹介ですが、私自身を説明する上で大学時代の経験は外せません。

当時の私は学生の立場で、いわゆるインターンシップという形で2社(ITベンチャー大学発ベンチャー)のベンチャー企業で仕事をしていました。最近、「経団連がインターンの下限日数を3日間に短縮する」というニュースがベンチャー界隈をザワザワさせていますが、いまでこそ企業の採用ツールや学生のマッチング機会として認知されているインターンシップも、当時はまだまだ"はしり"感がありました。

しかも私の場合は、各社での仕事は1年を越えましたし、そもそも就職目的ではなくて、とりあえず何か自分を成長させたい!という勢いでやらせていただきました。

この経験の何がデカかったか。それは、インターンを通じて出会った人に尽きます。

あなたは、天才技術者に出会ったことがありますか?

中卒ながら家業を継いできた、叩き上げの起業家に出会ったことがありますか?

大学を休んでまでベンチャーで仕事をする、そんな先輩がいますか?

地元仙台の進学校を卒業して東北大学に行くというのは、自分で言うのもアレですが、世間的に鉄板ルートなわけです。ただ、そのルートを普通に進んでいたならば出会うことのなかったであろう人に出会った。これが本当にデカかった。

社会人のスタート

そんな大学時代の経験を終え、私が進んだのは半導体ベンチャー企業でした。今でこそ振り返れば「入社して良かった」と思えますが、基本的にキャリア選択としては正しくなかったと思います。

ガリガリの新規事業立ち上げをやりたければ、大手でもリクルートサイバーエージェントなどを選べばよかったかもしれないし、どこかIT系のベンチャーでも良かったなと。もちろん面接を受けて結構いい感じに進んだ会社もあったのですが、どうも自分にはピンと来なかったんです。そもそも真面目に就活してなかったという甘さもあるのですが。。

今でこそ振り返れば、モノづくりというか、物理的に研究開発が生じるベンチャーで仕事がしたかった。なぜならば、大学時代のインターン先が大学発のモノづくりベンチャーだったわけですが、ここでの経験が大きかったです。

つまり、天才技術者がいて、それでもなかなか事業として上手くいかないベンチャー、これは一体何ぞや、と。自分が成長して天才技術者と組めば、きっと彼(彼女)はもっと輝けるのではないか、と。ならば一度研究開発型ベンチャーとして半導体の世界に飛び込んでみようと。

今振り返って、自分なりに整理をしてみると、当時は漠然とこうした考えがあったように思います。

ベンチャーキャピタリストになるまで

この半導体ベンチャーに進んで、もう一つ良かったなと思えることは、大学時代同様にそこで出会った人です。その後は当時の副社長がスピンアウトして、立ち上げたばかりのバリバリのベンチャーに誘っていただいたんですが、これが今のVCに進むきっかけになりました。

一つに、多かれ少なかれベンチャーファイナンス(資本政策や資金調達)やVCを意識できたことです。実際に出資いただいたVCとの接点が生まれ、ベンチャーファイナンスベンチャーキャピタリストって面白そうだなと。ここでVCという仕事を意識し始めました。

そしてもう一つに、ある種VCの限界みたいなものを知れたことです。出資をしてもらうこと自体がベンチャーにとっては貴重なわけですが、当時のベンチャーサイドから見て、VCから資金以上の付加価値を感じたかと言えば、NOでした。

このVCの限界みたいなものに対して、いろいろVCについて人から話を聞いたり、本を読んだりした自分にとっては、「あれ、なんか話が違うぞ」と。ベンチャーとVCは確固たる信頼関係で結ばれた運命共同体で、VCは資金だけでない多種多様な支援を行なうんじゃなかったのか、と。

繰り返しますが、ベンチャーにとっては出資をしてもらうこと自体が尊いです。ましてや、資金も時間も掛かる研究開発型、半導体ベンチャーなんて、普通はお金集まりません。さらに言えば、投資家としての経済合理性から考えると、資金を出した後は勝手に投資先が成長して、リターンを得た方がいい。つまり、ここで言うVCの限界は別に悪いことではないんですね。

ただ、ITやウェブ系のベンチャー/VCのエコシステムが出来つつあるなかで、研究開発型ベンチャーに対しても、VCとしてもっと出来ることがあるんじゃないか、そういう新しいVCの形があっていいんじゃないか、と。

ベンチャーキャピタリストになって

そこから本格的にVCを意識し始めるわけですが、なかなか理想のVCなんて無いわけです。そもそも、未経験の若造に門戸が開かれるほど、VCの世界は甘く無いわけです。

それでも情報収集して、関連する知識を学習して、ということを繰り返してようやく出逢ったチャンスでありVCに、今参画しています。

ベンチャーキャピタリストと名乗るには痴がましいですが、それでも僕は「ベンチャーキャピタリストです」と言い切ることにしています。

「資金だけでない多種多様な支援をする」と言い切ることにしています。

そうすることで、それに見合う人間に自らを引き上げられれば。

最後に

ベンチャーキャピタリストになって、影響を受けた言葉を2つ紹介して、自己紹介を締めくくります。

「一流のプレイヤーになる素養と、一流のコーチになる素養は違う。ベンチャーにとって一流のコーチになりなさい。」

「EXIT後にもベンチャーの飲み会に呼んでもらえるキャピタリストになりなさい。」

それぞれ違う方からいただいた言葉ですが、つまるところベンチャーとの信頼関係をどれだけ作れるか、そのためにどれだけ自分を成長させられるかに尽きるのだなと思っています。

はじめに

なぜ書くのか?

VC(ベンチャーキャピタル)という仕事柄、インプットすることは非常に多いです。たくさんの人に会い、話を聞きますから、事業のこと、市場のこと、技術、競合、業界全体の話などなど、インプットすることは尽きません。並行して、関連する書籍や趣味の読書も含めて、僕自身インプットの量というのはそれなりだなと思っています。

一方で、アウトプットの機会が少ないなぁという実感があります。基本的にVCというのは、VC自身が何かを生み出すという仕事ではありません。

もちろん、投資の意思決定や投資先への助言や支援が一つのアウトプットになるわけですが、アウトプットの頻度は多くありませんし、アウトプットした効果が見えづらいというか、日の目を見るまでが長いんです。それこそ上場をゴールとするならば、一般的に3年以上かかるわけですから。(上場直前に投資するようなVCもありますが)

そこで、ブログを書いてみようと。

10年程前、自分が20歳くらいのときにもブログを書いてましたが、長くは続かなかったんです。2016年のいま30歳を迎え、VCという領域で成長するために大事なのは、長く続けることだと考えているのですが、ブログというツールは「継続する」という僕が最も苦手にすることを改善するために役立つのではないかと。

何を書くのか?

まずタイトルの「中庸への回帰」とは、米著名キャピタリストであるアーサー・ロックが「アメリカを創ったベンチャー・キャピタリスト―夢を支えた35人の軌跡 (Harvard Business School Press)」という書籍で語っている言葉です。人に投資をするキャピタリストと呼ばれた同氏が語るこの言葉は、常に「真ん中」を意識しているようで何となく好きなので、タイトルに使わせてもらっています。

記事の内容に特別な制限は持たせないつもりですが、基本的にプライベートな(旅行やグルメ)話題にはあまり触れないつもりです。ベンチャーキャピタリストっぽい(?)話をなるべく触れたいと思っています。

どう書くのか? 

継続することがこのブログの目標ですから、1日1記事と言いたいところですが、いきなり高いハードルだとつらいので、一週間で3記事、2日で1記事のペースで更新していきます。 読み手にとって面白い記事がベストですが、内容云々の前にとにかく書く!というスタンスで続けていければと思います。

留意事項

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