中庸への回帰

ベンチャーキャピタリスト/山家 創(やんべ そう)のブログです。

キャピタリストは可能性を“探る”のではなく“感じる”のだと思う。

最近、ベンチャー・キャピタリストである自分の課題として強く意識することがある。

それは、投資判断・投資意思決定の遅さだ。

以前にブログで書いた「ベンチャーキャピタリストに求められる意思決定とは?」では、投資しないという意思決定の重要性を述べたが、今回はその意思決定のための「判断基準」という話に近い。

どういうことかと言えば、キャピタリストはベンチャーの可能性を“探る”のではなく“感じる”ものではないかということだ。

例えば、いまの僕には以下のようなことが起きる。

  • どのベンチャーの技術も有望そうに見える
  • どのベンチャーにも投資したいと考えてしまう
  • どのベンチャー起業家も尊敬するし、助けたい
  • 直感的に投資は難しいと思ったとしても、投資する理由を考えてしまう

これは自分自身の勉強不足、経験不足が原因にあることは深く反省した上で、キャピタリストはベンチャーの可能性を“探る”のではないと思う。この“探る”という定義が難しいが、“本来ないものをあると思って探す”ことに近い。

例えば、誰も見向きもしないベンチャー企業に唯一投資したキャピタリストがいたとする。そのベンチャー企業が大成功をおさめたとき、果たして彼(キャピタリスト)はベンチャーの可能性を探して投資したのだろうか?

僕の感覚としては、NOだと思う。

彼は“探った”のではなく“感じた”から投資したのではなかろうか。

つまりは、初見で話を聞いただけで可能性を感じるくらいのベンチャーでないと、そもそも成功可能性は限りなく小さいのだと思う。そして、そのベンチャー企業の可能性をずるずると探ることは、決してベンチャーにとっても望ましいことではない。日本のVCでよく起こりがちな「別途検討します」というスパイラルにハマり、ベンチャーの時間を奪う。

ベンチャーキャピタリストは、可能性を感じなければ即断で断わる(逆もしかり)。

今年は、特にこれを意識したいと思う。