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中庸への回帰

ベンチャーキャピタリスト/山家 創(やんべ そう)のブログです。

「国のために死ねるか(文春新書)」

まず感想

読後感というんでしょうか、読み終わったあとにぼんやり頭をよぎるものが普通の新書とは違う感じです。 通常の新書だと、「役に立った」とか「自分の知らない知識を得られた」とか「ほとんど知っている内容だった」という感想が一般的だと思いますが、本書は「知ってはいけない世界を知ってしまった」に近いです。

日体大を卒業して自衛隊になる、ということなら十分あり得る経歴ですが、特殊部隊の創設者であったり、父親が戦争中に某国総統の暗殺命令を受けて、それを理由に終戦後も毎週射撃訓練をしていたり、自衛隊を退職してミンダナオ島で謎の弟子と命がけのトレーニングをしていたり、という筆者のバックボーンを垣間みると、マンガの世界か?と同時に、なんか見てはいけないものを見てしまったような気分になります。

「国家の意思」

本書は読者によって様々な見方が出来ると思います。軍事論はもちろん、歴史観であったり、組織論やコミュニケーション論であったり。 で、僕がどう見たかというと、「国家の意思」って何だろうなと。

自分たちの国家には、意思が存在しなかった。

私もかつて公務に就いていたので判るつもりだが、これほど寂しく、虚しく、悲しい現実はない。

これは2010年に起こった、現職の海上保安官尖閣諸島漁船衝突事件の映像を動画投稿サイトにアップして問題となったニュースに対する、筆者の記載です。

普通のサラリーマンで、「国家の意思」を考えることって、まず無いと思うんです。そもそも国家というモノに対して、寂しさや虚しさを感じること自体が少ないですよね。その点、筆者のこの意見は「あぁ、自衛隊の人って、こういう想いであのニュースを見ていたかもしれないな」というのが新鮮でした。

で、この「国家の意思」を僕のような一般人がどこで意識できるかと言えば、政治であり、外交であり、選挙なわけです。本書の帯に「改憲論議の前に必読の書」とあるように、憲法も国家の意思と呼べるかもしれません。

そこで例えば、「9条改正の論点って何だっけ?いまの日本の意思って何だっけ?」という質問に答えられる人は、自分も含めておそらく多くないでしょう。

「日本人は自己主張が足りない」というのはスポーツ界だったりビジネス界だったりでよく言われることですが、そもそも日本人の住む日本という国の主張を理解出来ている人間がどれだけいるか、という問題と近からず遠からずなのかもしれませんね。